DRT背骨ゆらしは愛の整体法

DRT背骨ゆらし整体法は愛の整体法

 

第2回 DRTは愛の施術法

 

DRTマスターインストラクターの冨澤です。

 

DRTは愛の施術法だと思います。

 

私がDRTの施術を行っているときは、とても幸せな気持ちになります。施術を受けている患者様も幸せな気持ちになっていると思います。

 

なにか不思議な感覚で、眠たいようなふんわりした感覚です。

 

患者様の背中が硬いのも次第に緩んできて、眠りに入ります。(いびきをしている方もいます。)

 

私は眠りませんが(笑)

 

心に溜まったストレスを減らし、ストレスで起こる神経系の乱れを整え、身体を回復させる。

 

究極のリラクゼーション「癒し」ですね。

 

癒しの目的は、身体はもちろんですが、心のストレスを取り除くことが本来の目的に無くてはいけならない。

 

癒し=心のデトックス=自然治癒力向上=心と体の健康

 

心の疲れを取り除いていくと、身体の疲れも取り除かれて、自然治癒力が向上します。

 

本来人間が持っている超回復機能が活性化し痛みも不調も治してしまう。

 

人間は自分で治すことが出来るんです。

 

それを、引き出すことが出来るのは「DRT」の施術法と「DRT」の哲学(考え方)だと思います。

 

私たち施術家の役割は、その自然治癒力を向上させるきっかけを作ってあげるだけです。

 

それ以上の役割は必要ないんです。

 

それ以上のことをすると、お節介であり、驕り高ぶり(傲慢)です。

 

私が治してあげる。私は治せる。なんて傲慢な気持ちは患者の根本問題の解決を阻害します。

 

人は他人を変えられない、自分を変えるのは自分だけ

 

傲慢を調べてみたら、こんなことが書いてありました。

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B2%E6%85%A2

 

キリストでは、自分の能力に対する過信(それは、神の恩恵を理解する上でのさまたげとなる)を意味する。

 

仏教では、は、また主に7種に分かれる。

  1. 過慢:同等に対しては勝れたと、上等には同等と高ぶる。

  2. 慢過慢:勝れた者に対して、逆に自分が勝れたとする。

  3. 我慢:自分の身心を永遠不変の我とたのむ。

  4. 増上慢悟りを得ないのに得たとする。

  5. 卑慢:多く勝れた者より、少し劣っているだけのものとする。

  6. 邪慢:がないのにあるものとする。

 

ギリシャ神話では、他人の権利を侵し、神々を冒涜することで、人間が自己の分限を超えることが、神々の怒りを招くとされ、そこに人間の破滅の一因が求められた

 

と書かれています。

 

患者の能力を見下し、私が優れていると高見にいて、見下しコントロールしようとすることだと理解しました。

 

いや、私は違う。というかもしれません。私は治してあげたい。だから私が治すんだ・・・・・。

 

このことを、一度ゆっくり考えてみても面白いと思います。

 

私は20年間、私が治すと思い続けてきました。今では恥ずかしいことです。

 

治さないわけではないですよ。治るように「きっかけ」を作ってあげる最高の技術と考え方を患者に伝えるために日々努力は怠りません。(施術家の基本だから)

 

自分を向上させることには厳しく、自分がやるべきことはベストを尽くす

 

患者さんには、自分の健康は自分で作る。と伝えること!

 

でも、その方法を知っているプロである私が、自分が実践者となり伝える。

 

それが、価値ある仕事だと思います。

 

私は、DRT(上原先生)に出会い、このことに気づかされた。

 

ありがとうございます。感謝します。